タティスJrとゲレロJrの共通点はメジャーを代表する選手だけでなく、2人とも家が近所で幼馴染と言われています。
タティスJrはドミニカ共和国生まれのドミニカ育ちで、ゲレロJrはカナダ生まれで幼少期に母親と一緒にドミニカに移り住みました。
今回は「タティスjrとゲレロjrは幼馴染!2人の父親元メジャーリーガー!どっちがすごい?」というテーマで、二人の父親についてまとめてみました。
タティスjrとゲレロjrは幼馴染
タティスJrとゲレロJrが幼馴染という確証はありませんが、過去にインタビューの中でタティスJrがイエモ近所で幼馴染と話していたようです。
ゲレロJrはスペイン語圏のドミニカ共和国出身で、タティスJrもドミニカ共和国出身なのでスペイン語を話すことができます。
2人とも家庭内ではスペイン語で会話している可能性が高く、タティスJrとゲレロJrもスペイン語で交流していたと思われます。
父親が2人ともメジャーリーガーということなので、球場で2人は出会った可能性も十分考えられそうですね。
あまり2人の関係性について公表されていませんが、あえて関係性を隠しているようには見えないので徐々に関係性も明らかになると思います。
2人とも父親がメジャーリーガーで幼馴染だとすれば、まさに良き友人であり生涯のライバル関係といえます。
お互いにドミニカ共和国のためにもメジャーリーグで活躍し、切磋琢磨して偉大なメジャーリーガーになることを期待しますね。
タティスjrとゲレロjrの父親は元メジャーリーガー
タティスJrとゲレロJrの父親も元メジャーリーガーで、タティスJrの父親のタティスは2003年に現役引退するも2006年に復帰しています。
タティスは1999年に1イニング2度の満塁ホームランを記録し、メジャーリーグ初となる快挙を成し遂げています。
普通に考えて1イニングで同じ打者が2度の本塁打を記録するのも偉業ですが、さらに2度とも満塁本塁打というのは驚きしかありません。
息子のゲレロJrも同日に同球場で1試合2本塁打を記録し、メジャー史上初の親子で同日に同球場で2本塁打を記録しました。
1997年にメジャーデビューしたタティスは順調に活躍し、1999年にはキャリアハイとなる打率298・34本塁打・107打点をマークしています。
メジャーリーグで通算11年活躍したタティスの通算成績は、打率265・113本・448点の成績を残しました。
1999年にキャリアハイをマークしたタティスでしたが、その後は怪我もあり低迷した印象が強い選手です。
引退後は母国ドミニカで監督を務めるなど活躍し、指導者としてもドミニカ共和国の野球発展に大きく貢献しています。
そしてゲレロJrの父親のゲレロはメジャーリーグ殿堂入りした名選手で、通算成績は打率318・449本・1496打点を記録しています。
1996年にメジャーデビューしたゲレロは翌年にはレギュラーに定着し、3年目に38本塁打を放ち一気に注目を集めます。
そして24歳で迎えた4年目には打率3割・40本・120本を記録し、翌年にも同基準をクリアする走攻守揃った名選手へと成長していきます。
メジャー通算で40本塁打を記録したのは2回でしたが、圧倒的な足の速さと肩の強さで三拍子揃った歴史に残る名選手ですね。
肩が強いゲレロでしたが失策が多いのも特徴でしたが、同じ時代に活躍したイチローさんと比較される強肩の持ち主でした。
タティス父とゲレロ父はどっちがすごい?
タティスとゲレロはどっちがすごい選手だったかについては、成績だけ見れば間違いなくゲレロの方がすごいと思います。
タティスは怪我もあり11年のメジャー生活だった一方で、ゲレロは16年のメジャー生活で圧倒的な成績を残しています。
タティスは様々な球団を転々としていたのも印象的で、ゲレロと比較するとスター性は劣るかなという印象です。
タティスは1イニング2度の満塁本塁打など記憶に残る選手なのに対し、ゲレロはオールスター9度出場など記録に残る選手という印象ですね。
タティスもゲレロと比較すると見劣りする感じですが、メジャーリーガーの中でもトップレベルの選手だったのは間違いありません。
またゲレロは悪球打ちのスペシャリストとしても知られ、絶対に打てないと思う悪球でも打ち返してしまう姿も印象的です。
タティスとゲレロの息子がメジャーリーグを代表する選手へと成長し、父親と同じく息子も同じ舞台に立つ姿は感慨深いですね。
どっちがすごいか一言で説明するのは難しい部分もありますが、通算成績ではゲレロの方が圧倒的な記録を残しています。
2人を見ていて感じることは「遺伝はあるな」という気持ちで、2人の息子も才能があるのは遺伝も関係してると強く感じますね。