野村克也の監督歴は?社会人とプロの垣根を崩し平成最多勝利を保持した名将

野村克也さんは1989年にヤクルトスワローズの監督に主任して以来、2009年に楽天の監督を退任するまで指導者として活躍をしてきました。

今回は「野村克也の監督歴は?社会人とプロの垣根を崩し平成最多勝利を保持した名将」というテーマでお届けします。

2020年2月11日未明に、野村克也さんが亡くなられたというニュースが入りました。

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野村克也の監督歴は?平成最多勝利を保持した名将

野村克也さんはこれまでにプロ・社会人合わせて4球団で監督をつとめてきました。

就任年球団名戦績
1989年ヤクルト1187試合628勝552敗7引き分け/勝率.532
1998年阪神411試合169勝238敗4引き分け/勝率.415
2003年シダックス2003年 – 都市対抗野球で準優勝
2006年楽天568試合256勝302敗10引き分け/勝率.459

プロ球団での監督としての成績を簡単にご紹介していきますね。

ヤクルトスワローズ時代

野村克也さんはヤクルトの監督になる話を一度渋って断っていました。

その理由は、ライバルである長嶋茂雄さんが固辞したことによる野村克也さんへの要請だったからです。

くまくんのアイコン画像くまくん

アイツがダメだったから俺に話が来たのか・・

とプライドが傷つきますよね。

しかし、二度目の要請で承諾しヤクルトの監督に就任。
データ重視の「ID野球」を掲げてチームの大改革に乗り出します。

1年目は結果が出なかったものの、2年目は巨人の不信や若手の成長もありAクラスの3位に躍進。
混戦を制したセ・リーグは優勝するものの、日本シリーズは最終第7戦まで激闘を繰り広げたものの西部に破れる結果となりました。

1998年に退団するまでに日本一と四位を交互に繰り返したものの、ヤクルトスワローズ歴代でも屈指の名監督と言われています。

野村克也がヤクルト監督時代は選手のタレント化が進んだ

野村克也さんがヤクルトの監督をしていた頃、選手がテレビでタレント化することが増えたと言います。

・2020年からヤクルトの一軍監督を務めることが発表されている高津臣吾さん

・現在はギャオス内藤として活動する内藤尚行さん

・ミスタースワローズの名を持つ古田敦也さん

当時よくテレビで見かけた方も多いのではないでしょうか。
筆者も1990年代に古田選手がよくテレビに出ていたのを覚えています。

これは野村克也監督の指示ではないかもしれませんが、プロ野球に興味を持つ人が増えたきっかけになったのでは?と感じます。

阪神時代

1998年、当時どん底にあった阪神タイガースを立て直すべく久万俊二郎氏(阪神タイガース元オーナー)から直々に監督要請をしました。

「野村TOP野球」(Total・Object lesson・Process)をスローガンに開幕直後から快進撃を続け首位に立つものの、オールスター戦を挟んで9連敗・・
前年記録した球団ワースト記録の12連敗を喫し最下位に。

その後も不調は続き、チームを立て直すことが出来ず球団史上初の3年連続最下位に終わりました。

2001年に野村克也監督の妻である沙知代夫人が脱税で逮捕されたことで辞任を発表しました。

楽天時代

楽天の監督に就任して1年目は最下位だったものの、2年目は若手を積極的に起用した戦略で最終成績四位、3年目は五位という結果でした。

球団から戦力整備を評価され、2009年も1年契約で引き続き監督を務めています。

以前は自軍の選手が本塁打を打ってもベンチから出てこようとしなかった野村克也さんですが、選手をハイタッチで迎えたり試合後のインタビューでジョークを交えたコメントをするなどユーモアが見られましたね。

くまくんのアイコン画像くまくん

そういえば楽天の監督になってからノムさんのイメージ変わった気がする

野村克也さんがコメントをするたびに新聞やワイドショーでも取り上げられてい他ので、記者も「今回は何というか?」と楽しみにしていたのではないでしょうか。

「ノムさんのぼやき」で有名でしたよね。

野村監督は社会人野球とプロ野球の垣根を30年ぶりに崩した人

野村克也

日本の野球界は1960年代から30年に渡り、プロ野球と社会人野球が断絶状態にあったことをご存知でしょうか?

近年では社会人チームにプロ経験者のコーチや監督が急増していますが、このきっかけを作ったのが野村克也さんでした。

2003年に野村克也さんが社会人チーム「シダックス」のGM兼監督に就任。

世間では大きな話題となりました。

就任当時のシダックスは低迷していたものの、野村克也さんの持ち前の手腕で立て直しに成功。
2003年の都市対抗野球で準優勝を果たします。

シダックス野球部は2006年に廃部となってしまいましたが、野村克也さんの起こしたプロと社会人の垣根を越えるという行動は今も日本の野球界に大きな影響を与えてるといえますね。

野村克也の監督歴は?まとめ

野村克也さんの監督歴についてまとめてみました。

平成最多勝利を保持した名将と言われるだけあり、かなりキレ者だったようですね。

野球のことをあまり知らない人からすると「面白いコメントする監督」のようなイメージがあるかと思いますが、野村克也さんが実践していたID野球はその後IDバレーやIDサッカーなど他のスポーツでも広く使われるようになりました。

また、プロ野球と社会人野球の垣根を崩すきっかけとなった人でもあります。

選手としての戦績、監督としての戦績、数々の名言などなど、これからも語り継がれる人物であることに間違い無いですね。

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